その六『内卦と外卦について』

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★咲華の易学問答コンテンツ★
その壱 易を始めたきっかけ
その弐 易で占えること
その参 易の魅力と欠点
その四 陰と陽について
その五 八卦のイメージ
その六 内卦と外卦について
その七 易の変爻について
その八 易の吉凶の判断について

その九

各爻の意味合い

その十

いろいろな卦の変化
 〜『変卦について』


 
キラリ
 
キラリ、またまた勉強してきましたよ!そこでわからないことが出てきたので教えてください。
易の六十四卦は、基本の八卦が内卦と外卦にそれぞれひとつずつあって、それが組み合わさるこ とによって8×8で六十四卦になるわけですが、その内卦と外卦についてお聞きします。
何か物事を占うときに、内卦は自分のこと、外卦は相手のことを表す、というふうに判断していいのでしょうか?
 
 

咲華
 

 基本的に、内卦はこちら側、外卦は向こう側、というふうに判断していいと思いますよ。そういう ふうに基本的に判断していいから、賓主(ひんしゅ)という方法もあるわけでね。つまり卦を、上下反対にするわけだね。これを『賓主法』と言って、相手から見て自分はどう見えているかとか、そういうことを判断したりします。

 易にはね、公式をどう使うかというマニュアルが少ないんですよ。つまり、三変筮の場合でも、変爻があります。そしてその爻が変ると、確実に未来を表すのかという問題もあります。ルールがありそうでない。

 変爻を変爻として見る、つまり未来として見る見方がある一方で、伏卦(ふくけ)といって、本卦の中にそういう含みがあるんだと考える見方もあるんですよ。つまり、例えば『天地否』の第五爻であれ ば、変爻というのは、変じて『火地晋』になりますよ、という見方もできますし、そうではなくて、『天地否』の中に『火地晋』の意味合いを含んでますよ、という見方もできるんですよ。だからそこにはっきりとしたマニュアルはないんですよ。

 
 
 
 
確かに、本卦が変爻した卦の意味合いを含んでいる、と見た場合は、未来ということにはなりま せんね。
 
 
 

 そうなんだよ。またね、未来を見るということになると、中筮(六変筮)という方法もあってね。それは、三変、六変、十八変筮とあるけど、各々に長所と欠点があるんですよ、みんな。やはり易は、手軽だけれど、だれにでも開放されてはいるけれど、その真実たるや、実は非常に隠しやすい、ということは言えますね。

 例えばK会員の記憶修習にしたってそうでしょう。知らない人からすると、『ああ、単にこのテープを聞けばいいんだ。』と思うかも知れないけど、聞き続けることの真実の意味は、実践している人間にしかわからないようにできているよね。そういうように、真実を制度の中に隠しやすい、というところがある。それは実践してみないとわからない。

 だからね、ウィルヘルムとかライプニッツとかユングとか西洋の人たちが易の勉強をしてますけど、所詮それは勉強なんだろうな、と思います。嘉右衛門師のように、自分の血となり肉となっているかというと、全然なってないと思います。

 これは私の偏見かもしれませんけどね、西洋人にわかるはずがない(笑)という気持ちが少しあるんですよ。こういうことを言うと怒られるかもしれませんけどね。

 
 
 
 
う〜ん、確かに西洋と東洋の文化には、大きな個性の違いがありますよね。
 
 
 

 そうなんです。だってユング心理学がチューリヒでできた頃、これが果たして東洋人に理解でき るだろうか、ということが言われたわけですからね。だから河合隼雄さんなんかが向こうへ勉強しに行ったときに、東洋人にわかるだろうか、ということから勉強が始まったらしいですよ。

 易の世界は本当にいっぱいいろんなものを含んでて、もちろん私もそれを極めたなんてことは思ってませんが、実に奥深いです。

 その中で嘉右衛門師の三変筮がなぜあれほどに流行ったのかと言えば、嘉右衛門師が当時の新聞に、この事件はどうなる、あの事件はどうなる、という自分の占断を載せたんですよ。横浜日日新聞や東京ガゼット新聞だったと思うけどね。それでみんな、こんなに当たるのか、とびっくりして一気に広まったんです。

 
 
 
 
そんなにタイムリーにズバズバ当たっていくのを新聞に載せてるわけですから、それは三変筮一色になってしまうのも無理ないですね!
 
 
 

 そうだね。それは嘉右衛門師の力だと思います。嘉右衛門師の出生チャートを私は持ってるんですが、やはり、神通力を表すようなところも読み取れますからね。

 しかし嘉右衛門師の易占のやり方はですね、「占うときにサマディ(三昧)に入れ」と言ってるのと同じですからね。嘉右衛門師の占い方は、『至誠無息(しせいむそく)』と言いまして、その字のとおり、誠の極みで息をしない。息をしないで占いたい事象に対してぐ〜っと思念を凝らす。そして、自分が苦しくなって苦しくなって、もう息をしたいと思ったときになおいっそうの思念を込めてさらに息を止めるわけですよ(笑)。限界になってから、『なおいっそう』というのが付くわけですから。これはサマディに入れということだろうと、私は思ってるんですよ。

 
 
 
 
限界からさらにもう一息がんばるわけですね。
 
 
 

 そうです、そうです。だから私はあのやり方はできないな、と思ってるんです。私も初めはそう いう嘉右衛門流の、卦を立てる方法を試してみましたけど、できないなと思いました。やったことはありますよ。何回も何回もね。あれは心臓にものすごく悪いよね。日に1回やるともう、へとへとになる。だいたい3回くらい続けてやるともうダウンするよ。これは体に悪いなあ、と思ってね。

 また、私の場合、そういうやり方で卦を立てると結構外れるんです。だからあまりやってないです。 どういうような心の状態、どういうような体の状態で占ったときが一番当たるか、ということも自分でつかんでおかないとね。とにかく私は嘉右衛門流の立卦法はできないですね。

 
 
 
 
咲華先生の場合、精神力がありますから、本当に限界、失神寸前までやってしまうんでしょうね。 それですごく体にこたえるんだと思います。
 
 
 

 そうだね。嘉右衛門流でもいろんな卦を出したよ。植村直己さんがマッキンレーで失踪されたときにもこのやり方で占った。たしか『水山蹇(すいざんけん)』が出たと思う。『水山蹇(すいざんけん)』というのは、山の上に水がありますね。山の上に水があるのだから、これは凍っているな、と読んだわけです。つまり氷山だと。これの第何爻が出たのかはちょっと忘れたんですが、『くぼみに落ちる』というような辞(ことば)があって、くぼみだからこれはクレバスだと。クレバスにおちて蹇蹇 (けんけん)で帰ってこれないんだと。足の骨を折ったか、犬ゾリが壊れてしまったのかどっちかだろうと私は思ってました。

 
 
 
 
そ、それはもしかすると…当たっていたんではないでしょうか…。
 
 
 

 そんなことは本人以外は、誰にもわからないからねぇ。

 
 
 
 
では、最後になりますが、前回の『易学問答 その壱』の冒頭で、私たちが何気なしに使っていることわざや成語の中に易経から出ているものが多いとお話がありましたが、どんなものがあるんでしょうか?
 
 
 

そうですねえ。思いつくものからいこうか。

  まず初めに私の好きな言葉である
  『積善の家には必ず余慶あり。積不善の家には必ず余殃あり』があるでしょう。このくだりは文言伝に載っていて、TRANSFORM にも書いたからみんなも知ってると思うけどね。

 それから『虎視眈々(こしたんたん)』という言葉を知りませんか?『山雷頤』の第四爻に元があって、『虎視眈々、その欲蓄々』といいます。

 それから『君子豹変』なんて言いませんか?これは今では悪い意味に使われていますよね。態度を都合の良いようにコロッと変えてしまう人なんかに使うよね。これは『沢火革』の上爻に『君子豹変す。小人面目を革む(あらたむ)』とありまして。良い方の意味に使うんです。それまで評価していなかっ た人が大いなる変身を為して、皆が急にその人を見直すようになるとかいう意味に使います。

 それから蒋介石の名前も『雷地豫』の第二爻の『石に介するも日を終えず。貞にして吉。』から取っていたりするね。これは生き方を絶対に変えない固い意志を持つという意味です。蒋介石のご両親は息子にそういう人間に育って欲しかったんだろうな。

 
 
 
 
先生、今回もたいへん勉強になりました!ありがとうございました!