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おっ!勉強してきたねぇ。君が言っているのは、『太極(たいきょく)』のことだよね。つまり易経の『繋辞伝(けいじでん)上』に、『易に太極あり。両儀を生ず。両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず』とあるところの、『両儀』のことだろう?
この、『陰』と『陽』について、私はこう理解しているんです。この考え方を載せている解説書はあまりないと思うんですが。私自身はこう考えています。
この世界には、もともとひとつのエネルギーがあって、かたよりが生じ、相対的に2つの力に見えるようになったと、それがはてしない時間の経過とともに入り乱れてゴチャゴチャになってきたと。その過程であると、考えているんです。まさに初期仏教の『創世期経』の世界であると。それを象徴的にとらえたのが、前出の言葉だと思います。
つまり最初に『太極』と名付けられたひとつの力があって、それが偏在を生じた状態を『両儀』といって、そこからさらに偏在し分化した状態を『四象』と呼んで、さらに分化して『八卦』を生じた、ということだと思うんですよ。
だから、陰と陽はこの世を構成する2つのエネルギーのことだと思います。人間の気道にも、ピンガラとイダーという2つがあるように、易における陰と陽も、もともとこの世を構成する2つのエネルギーだと思います。これは世の中の全てに当てはまると思うんです。
例えば日本にも陰陽道(おんみょうどう)というのがあるよね。これは、物事には光があれば必ずそ こに影が生じる、という性質からきています。人間だって同じなんです。長所がものすごく発達している人は、欠点を意識しにくいんです。こういうような性質のことを表しているだけのことだと思うんです。
他にも、『山高ければ谷深し』って言うでしょう。日本のバブル経済も89年から90年にかけてドンドン膨らんでいって、そこから一気に滑り落ちたでしょう。それと同じ事だと思うんだよね。
人の運気だって同じなんですよ。例えば、人生の前半に苦しんだ者は後半に安定するんです。また、人生の前半に楽をした者は徳の消耗によって後半不安定になるんです。なぜなら人間はすべて、徳と悪業という2つの要素によって構成されていると言い切ったっておかしくないよね。というよりも言い切れると思うんです。それと同じ事だと思います。
つまり陰のエネルギーと陽のエネルギー、これはどちらが悪業でどちらが善業なのかは知りませんが、この世にはこの2つのエネルギーがあると。この現象の世界を構成しているものの全てはそういうものだと思います。ただ、それはもともとひとつのエネルギーにすぎないんだろうけどね。
だからこれはもうこの世を構成している根本的なエネルギーが、そういうような2つの性質を持っているんだと、私は考えているわけです。それを発展させたのが陰陽道だと思っています。そしてそれをもっと象徴的にとらえたのが易じゃないかなと思うんです。私はこういうふうにおおまかにとらえています。このとらえ方はそんなに間違ってはいないと思っていますが、ただこれをもっと抽象的に考える、というようなことは私はしていないんです。それよりも、易は『閉体系(へいたいけい)』であると、そういうものなんだと包括的に考えるようにしています。つまり卦のひとつひとつが綿密に繋(つな)がり合って重なり合って完結している有機体だから、易の体系というものができあがったと思うんですが。
話はそれるけど、この六十四卦の、64という数字はおもしろいんですよ。八卦と八卦で64。ソンディ心理学では、基本的に8種類の無意識のエネルギーの存在をあげるよね。『性衝動』・『感情衝動』・ 『自我衝動』・『接触衝動』がある。これで4つだね。そしてこれらがそれぞれ2つに分かれる。
まず、『性衝動』では、『情愛欲求』と『攻撃欲求』の2つに分かれる。
次に『感情衝動』では、『倫理的欲求』と『道徳的欲求』に分かれる。
次に『自我衝動』では、『所有理想の欲求』と『存在欲求』に分かれる。
次に『接触衝動』では、『獲得欲求』と『依存欲求』に分かれる。
これで8つになります。さらにその欲求にもそれぞれプラスとマイナスがあるわけですよ。
これが16種類の無意識の衝動なんですが。しかしこの基本となるのは8つなんです。八卦と似てますね。まあソンディはこういうことを意図して作ったわけではないでしょうが、妙な符号の一致だと思っているんです。
前回の『易学問答』の時にも、易とは誰かが一番最初に大いなるインスピレーションを感じて作ったものなんだろうと言いましたけど、ソンディも多分同じですよね。私は最初に学んだ時、どうして8つなんだろうと思いましたから。どうして8つなんだ、つまり八卦なんだろうと。べつに9つあってもいいじゃないか、と思いましたけど、そこは8つなんだろうね、やはり。
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