その参『易の魅力と欠点』

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★咲華の易学問答コンテンツ★
その壱 易を始めたきっかけ
その弐 易で占えること
その参 易の魅力と欠点
その四 陰と陽について
その五 八卦のイメージ
その六 内卦と外卦について
その七 易の変爻について
その八 易の吉凶の判断について

その九

各爻の意味合い

その十

いろいろな卦の変化
 〜『変卦について』


 
キラリ
 
今回は先生に、易の魅力についてお尋ねしたいと思います。
易の魅力はどんなところにあると考えていらっしゃいますか?
 
 

咲華
 

易の魅力というのは、すぐに答が出るということだね。複雑なシステム、大掛かりな機械を使わなくても、慣れればすぐに答が出ると。そして慣れてくれば、筮竹などを使わなくても答が出てくる。

 
 
 
 
えっ?そんな方法もあるんですかぁ?!
 
 
 

 これがあるんです!なんてったって中国四千年の歴史ですから。梅花心易(ばいかしんえき)といってね。邵康節という人が発展させたんだけど、筮竹で物事を占う場合はそのときの自分の心を対象にシンクロさせて卦辞(かじ)に置き換えていくわけじゃない?だから、卦辞に置き換える手段として筮竹があるわけで、もし筮竹を用いなくても置き換えることができるんであれば卦は出せるだろうと。だからこれは以前言ったことがあるかもしれないけど、たとえば君の今度の仕事が儲かるかどうかを占うときに、『数字を三つ言いなさい』と。じゃぁ、今数字を三つ言ってみて。

 
 
 
 
えっ、今ですか?じゃぁ、三,六,二。
 
 
 

 三,六,二ね。この数字を卦象にあてはめてみると、三は離(火)、六は坎(水)、二は第二爻だから、下卦に火がきて、上卦に水がくる。するとこれは『水火既済(すいかきせい)』の第二爻だね。そして、判断としてはこれはこれで結果が出てくるであろうと。しかし『既済』というのはこれ以上の発展は望めないわけだから、一番最初に自分が見積もった金額以上に利益は出ないだろう。ということがひとつ。

 そして第二爻だから、爻辞は『婦人が“ふつ”を失う。追う事なかれ。七日にして得ん。』つまり女の人が何か実を飾るための重要なものを失ってしまう。そして、それは放っておけば戻ってくると。だから、小さなことにくよくよせずに、じっくり腰をすえて今までどおりやっていくのが一番だとかね。

 あとは、思わぬ手落ちや障害があって、“ふつ”には“覆い”という意味があるから、プライドを落とされる、とかね。でも『七日にして得ん。』だから元の状態にいずれ戻ってくると。

 また、二爻が変じると『水天需』という卦になって、『需』の意味からも気長にやるという意味が出てくる。というふうに、筮竹を使わなくても、みることができるわけですよ。だから、すぐ答えが出てくるというところが面白いところなんです。

 
 
 
 
では、易の欠点はどんなところなんですか?
 
 
 

 欠点というのは、易で出た結果が、何ヶ月単位のものなのか、あるいは何年単位のものなのか、出た卦が全体の事象のどの部分を指し示しているものなのか、こういうことがはっきりわからないということなんですよ。これは三変筮(略筮)よりも六変筮(中筮)のほうが物事の推移を占いやすいんだけど、時間枠があいまいであることは同じでしょうね。

 たとえば、動物の象について占うとしましょう。目の前に象がいるんだけど、真っ暗闇で何がいるのかわからないと。そこである人は手で象の尻を触った。ある人は鼻を触った。ある人はしっぽを触った。ある人は耳を触ったとしよう。すると、鼻を触った人は『長い鼻がある。』という。そして、耳を触った人は『でっかい耳があるよ。』。そしてまたほかの人は『どうもからだも大きいみたいだ。』と。

 で、これは紛れもなく全員が象を触っているんだ。しかし、象のどの部分を触ったかによって、その人の解釈はだいぶ違ってくるだろう。だからこれと同じで、易の卦には、事象のどの部分を指し示しているのかはっきりわからないというところがありますね。

 たとえば、この前のあなたの仕事についての易占だって、たしかあれは『沢風大過(たくふうたいか)』だったと思うけど…、この卦は本来弱くて中間が強い。そういう卦を得たから『やめておいたほうがいい』という判断をしたけれど、別の卦を得たとして、『先へ進むな』という意味の『水山蹇(すいざんけん)』なんていう卦が出てくるかもしれない。しかし、どちらにしても、『やってはいけない』という点では答は同じだと。だからその事件のどの部分をワンポイントで指し示したかというのはわからないんだよ。そのあたりは非常に弱い。だから、易だけに頼ることは私は危険であると思いますね。

 まあ、易の良いところは良いところとしてありますよ。
 たとえば車を運転していたとして、ふと『あのことはどうなるかな』と思った瞬間、目の前を走る車のナンバープレートが視界に飛び込んできたとする。そしてそのナンバーの左側の二桁の数字を足してそれを下卦にし、右側の二桁の数字を足して上卦にし、全体の数字を足して六で割って爻にすると。こういう手もありますね。

 
 
 
 
えっ!?その物事について考えたときに飛び込んできたもので占う、ってことですか?
 
 
 

 そう、それを占機というんだね。占うチャンス、占う機会。『思い立ったが吉日』じゃないけど、そうなんですよ。

 
 
 
 
では、易の入門書などによく書かれている、コインを投げてそれによって易の卦を出すという方法などでも卦を出すことはできるということですか?
 
 
 

 はい、コインでも原理は同じだと思いますよ。ただ、コイン投げから易の名人になったという人は聞いたことがないから。どうしてかというと、簡単に占え過ぎるから、ひとつの物事に対してありがたみも何もなくなるんですよね。そうすると易は未来のことを告げてくれないんですよ。

 『山水蒙(さんすいもう)』の卦辞にあったと思います。
 『初筮(しょぜい)は告ぐ。再三すればみだる。みだるれは則ち告げず』。これと同じなんですよね。だから占うときっていうのは、どんな方法で占うかよりも、どんな状態で占うかの方が大事なんです。『
初筮は告ぐ。再三すればみだる。みだるれは告げず』、この『初筮』の状態に心を持ってこなければいけないんです。だから、一番最初に占うときにいかに覚悟を持って集中するか。そのとき果たしてコインやサイコロで、心が乗っかるかということです。

 占うときというのは、心・口・意(しん・くう・い)をひとつの状態に持っていかなければならないわけだから、そのためにロウソクをつけ、線香を焚き、何回か深呼吸をする、というような条件付けが必要なんです。儀式付けることによって占うときの心が一定の状態になりやすくなる。私はそうします。

 皆さんも知っていると思うが、何か占ってほしいと言われたときに、『5分から10分待ってくれ』と言いますよね。その間に洗面所に行って手を洗って口をすすいで戻ってきて、机の前に座り、ロウソクを灯し、線香を立て、それでもまだ雑念があれば、線香立ての中の灰を探って古い線香をひとつひとつ探り出すわけですね。そうすると心は落ち着くと。

 なぜこんなことをするかというと、占う前にみんなの不安を私にぶつけてきますよね。それが易占の障害になるんだね。イメージが乱れるわけだから。だからこういうことをしないといけない。これをコインやサイコロでできるか、というわけですよ。

 で、初筮を信用できないとなると、2回、3回とやっても自分の中で答をどこか信用できていないわけです。それで何回も占うことになる。これが『タロット地獄』です。そのうちにどの卦が正しいのか信用できなくなってしまう。だから、サイコロしか知らない、という人はそれでもいいと思うんです。でも、筮竹を使うやりかたを知ってしまったら、サイコロはまあ、緊急事態のときぐらいにしか使えないだろうなぁ、と思っているんですよ。

 じゃあ、私自身が実際に重要なことを占うにはどうするかというと、その日には占いません。重要なことを占うときには必ず、占いたい内容とか条件をひとつひとつ紙に書き出します。書き出して、それは置いといて、その日はそのまま寝ます。そして朝起きたときに占います。まあ、夢の中で卦をいただくこともありますけど。

 
 
 
 
夢の中で卦を得るとは?
 
 
 

 寝る前に書いた内容について、夢の中で卦を立てているんです。そうしてきっちりと卦を得ているんです。こういうときに得た卦は外れることがありません。100%そうなります。それは表層意識を通り越して、潜在意識に直接アプローチしているからなんですね。

 
 
 
 
うわぁ〜!不思議ですね。そんなことがあるんですねぇ。
ところで、先程の内容についてですが、一度寝てから占うのは、心を平静な状態に持っていくためですか?
 
 
 

 そうだね。リセットするというか、ゴチャゴチャと書いた黒板をいったんきれいに消してしまうためだね。もしくはかき回されてにごっていた湖の泥が、沈殿してそこまで見えるようになるまで待たなければいけない、ということだね。私はそういうふうにしている。今すぐ占いたい、という気持ちになるときもあるんですよ。しかし、そういう時は気持ちが逸っているときが多い。それでは『初筮は告ぐ』の状態にはならないだろうと。本当に占いたい内容であれば、1日たっても2日たってもその欲求は消えないはずだと思っている。だから、易の欠点というと、そんなところだね。

 
 
 
 
私は、占いたい問題の当事者が、一番その問題についてよくわかっていて、しかも心も集中しているから、自分で筮竹を執れば正しい卦が出るはずじゃないかしら、という疑問が前からあるのですが、それには逆に心が乗っかりすぎるというか、不安とか、希望とかが入り混じってしまうからだめとうことでしょうか?
 
 
 

 うん。あなたが今言った問題というのは、昔から取り沙汰されてきた問題で、自分のことを占ってピタッと当たれば一人前、いや、一人前以上だね。よく私のところにも、同業者が鑑定に来ることがあります。そして、『自分のことは他人に占ってもらった方がいいから』と言う人がいます。でもそれは甘いと思うんです。自分のことが占えて当たり前なんだと思います。でも、自分のことはなかなか当たらないのが通例なんです。それは、雑念も入るし、こういう卦が出てほしいという希望も入るしね。

 
 
 
 
先生でも、自分のことだと雑念や欲求が入りやすいんですか?
 
 
 

 それはあります。だからリセットするために一回寝ると。そして、寝起きの朦朧とした状態で占うというのが自分のことを占うときのスタイルなんですね。まあ、自分のことはなかなか当たり難いものです。それは、その人が事象に対して持っている執着の度合いとか、心の大きさとか、持っている徳、易に対する信仰が強いとか、そのへんで決まると思う。

 嘉右衛門は強かったんです。なぜなら、彼は易を信仰していたから。つまり、彼にとって易占とは神様が卦の形で自分に告げてくれるご宣託であったわけだから。主体は自分でなくて神様なんです。彼は『鬼神』とよく書いていますよね。だから自分のことでもはっきりと占えるんですよ。つまり、神様の前においては自分も他人も皆平等だと。同じだから占えるわけじゃないですか。でも、『私が占ってやっているんだ』という意識の易者なら、自分のことは占えないよね。当然雑念が入る。だからそのあたりの、筮竹を切るときの意識の持ち方だね。

 ただ単に、『私の心とあなたの事象をシンクロさせる』という意識の持ち方なのか、それとも『神々のご宣託を私があなたに伝えるんだ』という意識の持ち方なのかによって、もうぜんぜん違うと思います。言葉を変えて言えば、自分の意識を無意識層のどの部分にアプローチさせるのかということだと思います。当然、『神々の宣託を聴く』という意識状態のほうが、深〜い無意識層へのアプローチになってきますし、『自分が占う』という意識がまだあるならば、浅い無意識層へのアプローチになってくるでしょう。

 だから嘉右衛門は三変筮(略筮)で長い時間枠も占うことができたんでしょう。私はこう思うんです。多分、この考えは間違っていないと思いますよ。

 
 
 
 
はい!今回のお話も、と〜っても興味深く、かつすっごく参考になりました!!ありがとうございました。私ももっと易について勉強してみようかな。(ニコッ)