☆☆ 易の神秘 第十二占 ☆☆
《天地否(てんちひ)の巻》
〜易学の書を共著することの成否を占う〜


 秋田県人の根本通明(ねもとつうめい)氏は、近世を代表する大儒学者である。諸子百家の書をたしなみ、五経に通暁し、なかでも易学には特に造詣が深い。その博学と識見の高さは広く世の知るところであった。
 嘉右衛門はこの根本氏と親しく付き合っているうちに、共に易の書を著したいと思うよう になり、彼にこの話を持ちかけた。

 「私はかねてより易断の書を世に送り出したいと思っておりました。そこで相談なのです が、あなたは古易を深く学ばれ、易道の先聖古哲が残された解説書等についてもその奥儀を究(きわ)めておられます。
 ですから今回私が出す書において、どうか易学の理論を解説していただきたい。

 私は自分自信が体得した実際の占断法を著したいと思っております。私とともに易の書を世に送り出し広く世間に公開して、我々の同志、知己が増えるのを楽しみに待とうではありませんか」
 根本氏はこれを聞いて大いに喜び、
「それはすばらしいことです。ぜひ協力させてください。」
と、ただちに賛同の意をあらわした。

 ところが彼は多忙な人である上に生来の筆不精であることが重なって、嘉右衛門の再三の催促も甲斐なく、いっこうに著述にとりかかろうとはしなかった。これにはさすがの嘉右衛門も困り果て、ついにたまりかねて根本氏に問うた。
 「あなたが易学に精通しておられることは広く世のひとの知るところですから、易をたし なむ者は必ずあなたの家を訪ねてくるはずです。そこで、当今のわが国において、易学に精(くわ)しくて文才にも恵まれた人物をご存知ないでしょうか。もしご存知ならば私に紹介していただきたい。」

 嘉右衛門にこう詰め寄られた根本氏はあわてて答えた。
「あなたにはまことに申し訳ないことをしました。それならば斎藤眞男君をご推薦いたします。
 彼は旧佐倉藩士で、長く滋賀県庁に勤めたあと元老院書記官に転任され、いまはそこも退職して自由の身ですから、きっとあなたのご期待に添う仕事をしてくれることでしょう。」

 そこで嘉右衛門は筮竹を執り、果たしてこれを斎藤氏に依頼してもよいかどうかその可否を易に問うたのであった。
 このとき嘉右衛門が得た卦は《天地否(てんちひ)》の第四爻である。
《天地否)てんちひ)》
《否はこれ人にあらず。君子の貞によろしからず。大往(ゆ)き小来る。》
『否は否塞(ひさい)、つまり塞(ふさ)がって通じないこと。陰陽相和せず、上下の意志の疎通を欠く状態。故に否は人道の正常な状態ではないし、君子がいかに貞正を守ってもよろしいところがない。
 大(天・陽)が上卦(外卦)に昇って去り、小(地・陰)が下 卦(内卦)に下がってしまっている。これでは陰陽相和する機会が見出せない。』


 第四爻のことばは
《命あれば咎(とが)なし。なし。疇(とも)祉(さいわい)に離(つ)かん。》
『第四爻は陽剛の徳があって君側に侍する人である。君命を待って行動することを心がければ咎はなく、同類の人々とともに福祉を勝ち得るであろう。』

 この卦を得て、嘉右衛門は次のように考えた。
《天地否(てんちひ)》の「否」とは、塞がるという意味である。それゆえにいままで私は斎藤氏と縁なく、お会いすることもなかった。
 しかし今ときは満ちて、2人が一堂に会し、お互いに身に付けた易学の精髄を世にあらわす機会がおとずれた。私はもともと易理に通じ、実際の占断も得意だが、いかんせん著述力が不足している。

 それが今回、幸運にして斎藤氏と出会うことができて、私は自分が蓄積してきたものを世 に出すことができるし、斎藤氏もまたその得意とする文章力を発揮することができる。これぞまさしく、
《疇(とも)祉(さいわい)に離(つ)かん。》
というものであろう。

 この占断で嘉右衛門のこころは決まり、さっそく斎藤氏を訪ねた。易書編纂について依頼すると、
「それはすばらしいお話です。先生のような方といっしょにそのように有意義な仕事ができるなんて願ってもないこと。ぜひとも協力させてください。」
と、彼も大いに喜び、以来両人は協力しあって易断書を編纂していったのである。
 こうして易断書全十巻は完成をみたのであった。

 その後、斎藤氏は島根県某郡の長としてその任にあたり良吏の誉れも高かった。しかし不幸にも肺結核を患い、神戸で療養生活を送っていたが回復することなく明治二十二年五月、その身は武庫山の頂の雲と消えたのであった。彼の知人たちはその死を深く悼んだ。
 嘉右衛門も彼の死を悼んだ一人であり、往時の彼とのやりとりを懐かしみ、その業績が末永く残ることを願ってこの文をしたためたのであった